春名風花・ぼくは腹の底から泣いた

あまりこういうことを記事にはしないようにしていたんですが。*1

ニュースにもなった、はるかぜちゃんに対する殺人予告めいたツイート、
またその後の大まかな流れについて、ちょっと触れておきたいな、と。

はるかぜちゃんこと春名風花さんのことを知ったのは本当に偶然で、
どうして気になったのか、どうしてTwitterでフォローするようになったのか、
その理由をいくら考えても思い出せないくらい、些細なことでした。
ただ、当時の心境だけは覚えていて、
「本当に11歳なのか!?」「日本もまだ捨てたもんじゃないな」などと
偉そうなことを考えていたのは忘れられません。

なんだかんだでフォローしてから結構経ちまして、飛び込んできたのがこれでした。

引用:

@harukazechan(はるかぜちゃん)
どこかで見ていてくれるなら、事務所の方に連絡をくれたら、通報はしません(ω)
もう少しだけ信じて待ってみます(ω)
よろしくお願いします(ω)
RT @yumnchu はるかぜちゃんをナイフで滅多刺しにしてドラム缶にセメント詰めて殺したい

上部のまとめにもあるように、「はるかぜちゃん」で検索して
自分に関する情報を探すのが日課だそうで、
恐らくは想像を絶するほどの汚い世界を見てきたのではないか。

この予告めいた発言を見付けて、彼女も最初は悩んでいたようです。
通報すべきか、しないか、ではなく、
こういったツイートに対する自らの姿勢そのものに関して。

  • いつものようにスルーしておけば、大事になることはない
  • 自分が通報してしまったら、『子供がネットなんてやるから』という風潮になるのは目に見えている
  • いつだって「加害者の人権」「被害者の責任」が大好きな人たちが、この国にはたくさんいるから
  • 行動を制限されなければいけないのは、本当に規制されるべき人は、だあれ

こうした論を述べると同時に、
「こわい」
「しにたくない」
「ころされたくないよ」
と生々しいツイートが続いていました。

そこで抱いた私の感想は、ニュースを見たときの「またバカがバカやったのか」ではなく、
ましてや「芸能人・有名人って大変なんだな。それにしても頭良いなこの子」でもなく、
一人の人間に対する純粋な「生きて欲しい」という思いでした。
誰かが車に轢かれそうになっていたら「危ない」と思うのが人情で、当たり前だと。

しかしどうやら、世間はそうではなかったようです。
春名風花さんに「身を守ってください」「通報してください」と声をかけたり、
あるいは実際に通報された方もいたそうですが、
それは(私が見た限り)どうも少数派のようでした。

『愛情の裏返しかも知れないじゃん。通報するなんて残酷』
『屁理屈ばかり言わないでください。(殺されても)仕方のないことだとわかりませんか?』

そんなツイートを見た時は、私はついに目がおかしくなったのか、いや、
どうか見間違いであって欲しい、そんなことを思いながら何度も読み返しましたが、
そうこうしているうちに、通報という行為に批判的な言葉がどんどん流れてきました。

今でさえなお、苛烈な言葉は勢いを増すばかりで、絶望的です。
一体彼女は今まで生きてきた11年間、何度自分に向けられた「死ね」という悪意を見てきたのだろう。
有名税』という言葉で表すには、あまりにも酷じゃないか。

もちろん、「はるかぜちゃん」でTwitterを検索していたのは春名さん本人で、
人によっては『自分から悪口を聞きに行くくらいならネットをやるな』という結論、
あるいは優しさめいたものを抱くかも知れません。

でも私は、ネット社会が「死んで欲しい」という言葉で溢れかえっていることが、
まずはじめにおかしいことではないかと思えてならないのです。
ネットに限らず、「どこそこの学校がある湖のゴミ拾いをした」ということが
まるで人間に不可能な、神の如き所業であるかのようにニュースになっていることも。*2

憎しみを抱くことは誰しもあれど、では言わないのが美徳なのかと言われたら、私にはわかりません。
ただ、全世界に悪意を撒き散らす姿は、決して美しくはない恥ずべき行為で、
何の覚悟もリスクも無しに、安易に人を傷つけているのは疑いようのない事実です。

「それが社会だ」と、私も今まで思って来ました。
でもその『社会』は、子供に誇れる『大人の社会』なのだろうか。
人に、あまつさえ11歳の子供に堂々と「死ね」と言って許される社会が。

よく「インターネットの一部の過激なユーザが……」なんて表現を聞きますが、
Twitterを眺めていると、一部ではなくて大多数なのでは、と思ってしまいます。
それはTwitterに限らず、人の多く集まるところなら大同小異だとも。

今回の一件で印象深い言葉がありました。

引用:

@h_ototake(乙武洋匡
はるかぜちゃんが殺人予告とも取れるツイートを受け、親御さんが警察に通報した。
それを受けて、「だから小学生にネットなんかやらせるから…」という感想を漏らしている人が多いことに驚く。
「退場すべきは、いじめられた側だ」というわけか。これでは、いじめがはびこるわけだ。

全てはこの一言に集約されているのではないかと思います。

春名さんに対する風当たりは日を重ねるごとに強くなっています。
あるいは、今まで表沙汰にならなかったものが日に晒された結果でしょうか。

春名さん自身、一時は『通報なんてしなければよかった。殺されそうになるまで我慢すればよかった』と嘆き、
熱と吐き気に襲われて学校にも行けず、Twitterでは毎日膨大な数の悪意が飛んで来る中、
それでも「自分が逃げたら、自分よりも立場の弱い人に顔向け出来ない」
「限界が来るまで頑張る。まだ大丈夫だから」と活動を続けています。
(その発言にさえ、重箱の隅をつつくような屁理屈・バッシングが飛び交う現状ですが)

春名さんの哲学、人生観、態度を私は一人の人として尊敬していますが、
今の心境でもなお「立ち向かう」というのは確かに彼女らしいとはいえ、
まっすぐ生き過ぎて、いつか折れてしまうなんてことにならないように祈っています。

英語として使い方はおかしいんですが、
私にとってのヒーローを挙げるとしたら、春名風花の名を迷わず口にするでしょう。

今の感情を忘れないように、ちょっと記事にさせてもらいました。
おしまい。

*1:プログラム関係のみにしようと思っていたので。

*2:素晴らしい行為であることはもちろん事実ですが、理想論を述べれば、それがいつか『当たり前』になって欲しい。